住職の独り言 お墓・お仏壇じまい、移設 ~変わるけど、変えないもの~ 寺報49号

住職の独り言 お墓・お仏壇じまい、移設  ~変わるけど、変えないもの~ 寺報49号

 

昨年は、お墓・お仏壇のじまい、移設で、よく能登のほうにお参りに行きました。能登の震災から2年が経ち、影響があった方の家や環境が少し整ってきたタイミングで、これからのお墓やお仏壇のあり方を家族で考えての決断でした。今までと環境が変わり、これまでの形とは変わったけれども、ひとつの区切りであり、スタートでもある。ご苦労も本当にあったと思いますが、ご子息も引き連れ、安堵の表情でお参りされている姿から、復興への確かな歩みを感じました。

お仏壇じまいをするけれども、その中にあったご本尊(仏像)を床の間に置いてお参りされる方、新しいお墓を建てる方、少し形を変えて合祀のお墓や納骨堂にお骨を収める方、さまざまです。今まで守ってきたものと形が変わったことで、どこかおろそかにしたような気持ちになったり、何か足りていないと思っていらっしゃったのでしょう、「ごめんね」と涙される方もいらっしゃいました。

環境が変わり、お守りする形が変わるのは仕方のないことです。しかしながら、変わるけれども、変えないもの、守っていくものはあります。これからのことを考え、お墓やお仏壇の今後のことを検討されている方もいらっしゃると思いますので、あらためて記したいと思います。

「・・・・・亡き人を偲びつつ、

   如来(阿弥陀如来、佛)のみおしえに

              遇いたてまつる・・・・・」

これは法事などのお参りの時に拝読する表白(ひょうびゃく)の一文です。私は、このお心がすべてかなと思います。

お参りする時は、亡き人が御縁となることが多いですが、その亡き人はもう佛様の世界にいる方ですから、残った者に嘆き悲しむ毎日を送ってほしいわけではありません。きっと、日々を大切に、元気に過ごしてほしいと望んでいます。

だからこそ、私たちにかけられたその願いを受け止めながら、佛様の大きな教えを聞き、日々の生活において見落としがちなもの、大切なものを確かなものにしていく。これが変えないもの、守っていくものだと思います。

どうしても、悪いことが続くと、何がいけないのかと、祟りや迷信で動揺してしまうのが人間ではありますが、私たちが今ご縁をいただいている浄土真宗の佛様、阿弥陀如来様は、きっと「信じて、南無阿弥陀仏と申せ。大丈夫、迷わず、自分の縁をしっかり生きろ」と不安がる必要はないとおっしゃってくださっています。

お参りする意味合いも、亡き人の成仏を祈る追善供養ではありません。

仏徳讃嘆(ぶっとくさんだん)

報恩感謝(ほうおんかんしゃ)

意味は、阿弥陀如来の恩徳を讃え、その世界に導いてくださった亡き人々(諸仏)を讃え、感謝のお参りをしていくことです。ここをぶらさずに、心の軸に置いてお参りすること、これが「・・・・・亡き人を偲びつつ、如来のみおしえに遇いたてまつる・・・・・」だと思います。

お仏壇じまいをされた方で、「仏壇がお家になくなったので、これからは命日に、お寺にお参りに行きます。」とおっしゃった方がいました。形は変わっても、できることはあります。お墓、お仏壇が大きい、立派ということは、一切関係はありません。

あなたにとって、変えないもの、守っていくものはどのようなものでしょうか。誰もがいつかはお参りされる側になります。あなたは何を残していって、ご家族に何を守ってほしいのでしょうか。

最初にご紹介した表白の最後は、

「・・・・・如来大悲の恩徳をあおぎ、師主知識(お釈迦さまや、佛様の教えに出会わせてもらった方々)の遺徳をよろこび、つつしみて報恩の大行にいそしまん」。

私が好きな冊子

『なき人をしのんで』には

南無阿弥陀仏とお念仏申す心の上に、亡き人は阿弥陀如来と一つになって、私たちに環相(還りきて)くださり、言葉なき言葉をもって、残れる私たちの生きゆく道を教え示しておられるようであります

このように締めくくられています。

時代、環境の変化で今までの形が変わることはあります。そんな時は、今までを振り返りながら、変わるけれども、変えないもの、守っていくものについて、ぜひ考えてみてください。(住職)

49号目2026 お墓・お仏壇じまい、移設 ~変わるけど、変えないもの~

住職の独り言 お数珠・お念珠 寺報48号

住職の独り言 お数珠・お念珠

先日お墓参りに行った時に、そこにいらっしゃった方が、私が九歳の時に得度(僧侶となるための出家の儀式)した時の記念のお数珠を持ってお参りされていました。だいぶ前のことなのに、大切に持って使って下さっていたこと、嬉しく思いました。

普段、皆さんはどのようなお数珠を使っていらっしゃるでしょうか。親御さんからもらったもの、自分で購入したもの、なんとなく家にあるもの、さまざまあると思います。良いもの、悪いものといった区別は一切ありませんが、自分の手にあるものは、その人の手にある歴史や想いも含め、大切にしたいものです。ちなみに、私が得度した時にお寺から記念としてお渡ししたお数珠は、赤っぽい落ち着いた色のお数珠です。

お数珠は念珠(ねんじゅ)とも言います。お参りをするのですから、私は「念珠」というほうがしっくりきます。お数珠の由来にはいろんな説がありますが、仏前に合掌や礼拝するときに使うものですから、心身ともに姿勢を整え、正しくお参りすることが大切です。お葬式に喪服やその場にふさわしい格好で行くのと同じように、それがその場の礼儀であり、敬いの形です。作法など正しく形を整えることで、正しい心が出来てくるのだと思います。

浄土真宗の教えとは少しそれますが、珠の数は煩悩の数である百八個が基本とされ、煩悩を絶つためこの数になっているそうです。実際はそんなに多くなく、その半数の五十四個、四半数の二十七個などがあり、二輪のものと、一輪のものがあります。宗派によっては、お参りの時に念仏の数を数えるために使用する場合もあるようですが、浄土真宗ではそのような使い方はしません。

よく聞かれる持ち方ですが、女性用によくある長い房の二輪は、二つの親珠(大きい珠)を親指で挟み、左側に房を下げます。一輪の場合は、親珠を下にしてかけます。持つときは左手に持ちます。宗派によっていろいろと違いがありますが、浄土真宗大谷派の正しい作法はこのようになっています。

お数珠は切れることがあります。お参りしていていきなり切れたりすると、「何か嫌なことが起きるのでは」とドキッとされる方もいるかもしれませんが、大丈夫です。私も年に何回か切れますし、新しいものであっても紐が乾燥していると切れる場合があります。私たちの浄土真宗のお参りは、「健康になりますように」「良いことがありますように」とお願いするお参りではありません。人間の私欲の部分よりも、より大きなもの、繋がりやご縁によって自分があることを見つめる、感謝のお参りです。いただいているご縁を大切にしているのですから、お数珠が切れたからといって「嫌なことが起きそう」などとこだわらなくていいのです。大切なお数珠が切れてしまった場合は、仏壇屋さんに持って行って、繋ぎ直してもらうと良いかと思います。

昨年、報恩講にお伺いさせていただいたお宅には、次の言葉を紹介させていただきました。

花咲かす見えぬ力を春という

             人となす見えぬ力を仏という

藤元正樹先生のお言葉です。

新しい年を迎え、お参りすることもあるかと思います。はかることのできないご縁、因縁によって今の私があるのですから、今を丁寧に。はじまりの時だからこそあらためて、身なりを整え正しく、お参りをしていきましょう。(住職)

48号目2026 お数珠・お念珠

住職の独り言・寺報47号(佛様の眼鏡・報恩講のお知らせ)

こんにちは!先日、お茶菓子で栗のまんじゅうをいただきました。

まだ暑い日は続きましたが、はやいもので秋に向かっていきます。

今年も残り約3か月です。大切に過ごしましょう。

 

~住職の独り言~

私の仕事は、佛様がいらっしゃるお寺を守り、皆さんのお参りする場を守ることです。ご自宅に伺ってお参りすることもあるので、さまざまなご家族の事情を目にすることもあります。葬儀の時には大切な人を亡くし、深い悲しみに沈む方もいれば、感謝の気持ちを込めて手を合わせる方もいます。亡くなられた方の歩みを通して、その人柄や周りとの関わりの大きさを感じることもあります。

一方で、複雑なご事情により、故人と関係が切れていたり、恨みを抱いていたり、尊敬できない関係となっている場合もあります。思うところは多々あるでしょうが、それでも最後を見送り、お世話をされる姿を拝見すると、本当に立派だなと頭が下がります。孔子の言葉に「罪を憎んで人を憎まず」というものがあります。人の生き方はさまざまですが、どんな人生であっても尊い命を生きたのですから、最後は誰かに手を合わせてもらえる人生であってほしいと思います。

少し前に、息子に勧められて映画「あんのこと」を観ました。この映画は、幼い頃から母親に暴力を受け、十代半ばから覚せい剤や売春に関わるなど過酷な人生を歩んできた二十一歳の「あん」が主人公です。覚せい剤使用容疑で取り調べを受けた際、少し変わった刑事と出会い、さまざまな大人との関わりの中で次第に心を開き、傷つきながらも生きようと更生していきます。しかし、環境の変化から再び暗雲が立ち込め、終盤の結末を迎えます。映画を観て悲しい気持ちになりましたが、新しい人生を歩もうとするあんの姿は強く印象に残りました。息子が「面白かった」と言ったのは、単に娯楽としてではなく、人の生き方に関心を持ったからだろうと感じ、少し成長を垣間見た気がしました。

人の人生にはいろんなことがあります。思い通りにならないこともたくさんあります。自分も明日どうなるか分かりません。だからこそ、亡き人やお参りのご縁の時に、佛様の教えを思い出し、生活の支えにしていただきたく思います。

私がよく使う例えですが、視力が落ちたときに眼鏡をかけるように、生きる道が見えにくくなったときには、佛様の「眼鏡」をかけてほしいと思います。その眼鏡は、普段の視点とは異なり、より大きく物事を見ることができます。その眼鏡を通してご縁や人生を見つめ直すことで、違った見え方に出会い、「ああ、こういうことだったのか」と、人としての正しい生き方に気づかされることもあるでしょう。

まもなく、浄土真宗では一年で大切な行事「報恩講」をお迎えします。十一月二十八日の親鸞聖人のご命日に向けて、各寺で報恩講のお参りを行います。これもまた佛様の眼鏡をかける大切なご縁です。親鸞聖人の著書『正信偈』は「帰命無量寿如来」で始まります。「無量寿」とは量ることのできない寿(いのち)であり、如来とは教えをいただく存在。「帰命」とはそのいのちに帰れ。つまり、「量り知れない命の尊さに帰りなさい」という意味です。命の尊さに気づき、その命を大切にしなさいと呼びかけているのです。

ある先生が、仏教講座に来られた方に「何かを得て帰るのではなく、何かがご自身に生まれることを期待しています」と話されていました。佛様の眼鏡をときどき胸から取り出してかけてみましょう。そして命の原点に立ち返り、「私はどう生きるべきか」と自分に問いかけていきたいものです。(住職)

 

~寺報47号です。 「佛様の眼鏡・報恩講のお知らせ」~

お時間がある時に、ご覧ください。

 

今回は死の体験旅行の講師

なごみ庵 住職 浦上さんのインタビューもあります!

47号目2025 佛様の眼鏡

死の体験旅行 ~あなたの「たいせつ」を探す旅~ 開催

死の体験旅行チラシ

10月4日(土)14:00~

講師に浦上 哲也師 (浄土真宗 倶生山なごみ庵住職)を

お招きして開催します。

死の体験旅行とは
あなたにとって最も大切なもの、あなたにとって一番大切な存在を死のストーリーから見出してみませんか?死の体験旅行は講師が語るストーリーに合わせて、自分にとって大切なものを書き出し、眺め、時には手放す、「死」を類似体験するワークショップです。

 

講師の浦上さんは、民家を改装した「ちいさなお寺なごみ庵」を運営。

舞台役者である奥さんとともに、寺院向け芝居公演で全国を巡られています。また自死対策にも力を入れていらっしゃいます。もとは医療系のワークショップである「死の体験旅行」を主催。死を見つめることによって“いのち”について考え、自分にとって何が本当に大切なものかを再確認できる内容として、メディアからも注目を集めています。

今年の当寺の報恩講は土日の開催となりましたので、

特別企画として開催します。

一緒に、~あなたの「たいせつ」を探す旅~ 参加しませんか!

お申し込みはチラシのQRコードか、下記のアドレスから、

お申込み下さい。

https://forms.gle/y5XppRjeR12LLu7Q8

 

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45号目2025 私の信仰

 

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