住職の独り言・寺報47号(佛様の眼鏡・報恩講のお知らせ)

こんにちは!先日、お茶菓子で栗のまんじゅうをいただきました。

まだ暑い日は続きましたが、はやいもので秋に向かっていきます。

今年も残り約3か月です。大切に過ごしましょう。

 

~住職の独り言~

私の仕事は、佛様がいらっしゃるお寺を守り、皆さんのお参りする場を守ることです。ご自宅に伺ってお参りすることもあるので、さまざまなご家族の事情を目にすることもあります。葬儀の時には大切な人を亡くし、深い悲しみに沈む方もいれば、感謝の気持ちを込めて手を合わせる方もいます。亡くなられた方の歩みを通して、その人柄や周りとの関わりの大きさを感じることもあります。

一方で、複雑なご事情により、故人と関係が切れていたり、恨みを抱いていたり、尊敬できない関係となっている場合もあります。思うところは多々あるでしょうが、それでも最後を見送り、お世話をされる姿を拝見すると、本当に立派だなと頭が下がります。孔子の言葉に「罪を憎んで人を憎まず」というものがあります。人の生き方はさまざまですが、どんな人生であっても尊い命を生きたのですから、最後は誰かに手を合わせてもらえる人生であってほしいと思います。

少し前に、息子に勧められて映画「あんのこと」を観ました。この映画は、幼い頃から母親に暴力を受け、十代半ばから覚せい剤や売春に関わるなど過酷な人生を歩んできた二十一歳の「あん」が主人公です。覚せい剤使用容疑で取り調べを受けた際、少し変わった刑事と出会い、さまざまな大人との関わりの中で次第に心を開き、傷つきながらも生きようと更生していきます。しかし、環境の変化から再び暗雲が立ち込め、終盤の結末を迎えます。映画を観て悲しい気持ちになりましたが、新しい人生を歩もうとするあんの姿は強く印象に残りました。息子が「面白かった」と言ったのは、単に娯楽としてではなく、人の生き方に関心を持ったからだろうと感じ、少し成長を垣間見た気がしました。

人の人生にはいろんなことがあります。思い通りにならないこともたくさんあります。自分も明日どうなるか分かりません。だからこそ、亡き人やお参りのご縁の時に、佛様の教えを思い出し、生活の支えにしていただきたく思います。

私がよく使う例えですが、視力が落ちたときに眼鏡をかけるように、生きる道が見えにくくなったときには、佛様の「眼鏡」をかけてほしいと思います。その眼鏡は、普段の視点とは異なり、より大きく物事を見ることができます。その眼鏡を通してご縁や人生を見つめ直すことで、違った見え方に出会い、「ああ、こういうことだったのか」と、人としての正しい生き方に気づかされることもあるでしょう。

まもなく、浄土真宗では一年で大切な行事「報恩講」をお迎えします。十一月二十八日の親鸞聖人のご命日に向けて、各寺で報恩講のお参りを行います。これもまた佛様の眼鏡をかける大切なご縁です。親鸞聖人の著書『正信偈』は「帰命無量寿如来」で始まります。「無量寿」とは量ることのできない寿(いのち)であり、如来とは教えをいただく存在。「帰命」とはそのいのちに帰れ。つまり、「量り知れない命の尊さに帰りなさい」という意味です。命の尊さに気づき、その命を大切にしなさいと呼びかけているのです。

ある先生が、仏教講座に来られた方に「何かを得て帰るのではなく、何かがご自身に生まれることを期待しています」と話されていました。佛様の眼鏡をときどき胸から取り出してかけてみましょう。そして命の原点に立ち返り、「私はどう生きるべきか」と自分に問いかけていきたいものです。(住職)

 

~寺報47号です。 「佛様の眼鏡・報恩講のお知らせ」~

お時間がある時に、ご覧ください。

 

今回は死の体験旅行の講師

なごみ庵 住職 浦上さんのインタビューもあります!

47号目2025 佛様の眼鏡