住職の独り言 正信偈 ~自分の繋がり、御縁に感謝するお参り~
寺報50号
浄土真宗の正信偈は、毎日のお参りや、報恩講、葬儀などでお参りされます。どんなことが書かれているか分からなくても、おじいちゃん、おばあちゃん、親のお参りの姿を見ていたので知っている、お参りすることが出来るといった方も多くいらっしゃると思います。
ご存じのように、正信偈は親鸞聖人によって著されました。七文字、六十行、百二十区で書かれており、教行信証に収められています。大学時代に訳を見て勉強した時は、何を言いたいのだろうか、自分の人生にどう役立つのだろうかと考えてしまい、よくわからないといった印象でした。それから約三十年近くが経ち、歳を重ねると、感じ方が変わってきたなと感じます。
正信偈には、阿弥陀仏の大きな願い、南無阿弥陀仏のお念仏の救い、それを受け継いだ七人の僧侶(七高僧)からのメッセージが表されています。『私はこうして阿弥陀さまの救いに出遇いました。どうか皆さんも大切にされてください。』という親鸞聖人の感謝のお参りと言えます。
子供向けに作られた真宗児童聖典に書かれている正信偈の訳には、このようにあります(一部要約)。
【佛(阿弥陀仏)になる前の法蔵菩薩が、悩みを抱える人、老いや病を抱える人など、どんな人でも救えるこのうえない美しい国浄土をつくるという大きな願いをおこされました。そして、その願いをかなえるために、南無阿弥陀仏という寿命(いのち)と光明(ひかり)に限りない佛となって、その名がどんな人にも届き、聞こえるようにし、その名を聞く人は、みな浄土に生まれて、同じように佛となるようにしたいと重ねて誓われ佛様となられました】
このお浄土の世界は、頑張って修業したり、功徳(善い行いを積む)をする世界ではなく、不安も多い人生の中で、阿弥陀仏の救いをいただきながら、大きな心で自分にあるものを見つめ、感謝して生きる道です。それを伝えようとされた方がいて、その願いが今、私たちにまで届けられています。その願いに耳を傾け、自分が多くのご縁に支えられて生かされていることを、あらためて確かめながら歩み続ける。そのような心を忘れないよう努めながら、私は正信偈のお勤めをしています。
最近、参加した勉強会の先生からこの言葉を紹介してもらい、あらためていいお言葉だなと思ったのでご紹介します。
“天命を安(やす)んじて人事を尽くす”
明治時代に活躍した仏教者、真宗大谷派僧侶の清沢満之先生の言葉です。ことわざには“人事を尽くして天命を待つ”があります。やるべきことをしっかりやり、あとは運命に任せるとの意味ですが、この言葉では天命が前にきています。人生においては良いこと、悪いこと、うまくいくこと、いかないことがあります。自分にとって都合の良いことがずっと続けばいいけれど、そういうわけにはいかない。そのたびに、自分の心は弱いから右往左往し、悩みや不安が尽きません。
そんな自分であることを見つめながら、どんな人であっても救うぞという阿弥陀仏の願いを心に受け止め、安んじて一日一日を丁寧に過ごす。これが“天命を安んじて人事を尽くす”の意味です。“人事を尽くして天命を待つ”も大事なことですが、せっかく正信偈に縁がある身です。いただいているご縁や自分の繋がり中で、目の前のことに丁寧に尽くす“天命を安んじて人事を尽くす”の姿勢も、心に持つべきだと思います。
先日、お通夜で正信偈をお参りさせてもらっていると、本も配られていない中、ずっと一緒に声に出してお参りされている方がいらっしゃいました。最近、そんな方は少なくなりましたが、素敵な姿勢だなと思います。いろんなところで聞く、届いている正信偈。想いを受け取り、自分とその繋がりを見つめるお参りです。大切にしていきましょう。(住職)
